🫧 支援のかたちと僕の葛藤
──現場で見た“本当に必要な支援”とは
今日は、少しだけ本音を書いてみようと思う。
ぼくは今、ある福祉系の団体で働いている。 地域の支援に関わる仕事で、 本来なら、困っている人の力になれるはずの場所だ。
でも、働くうちに、ある疑問が心に積もってきた。
「この支援、本当に誰かのためになっているのだろうか?」
社会福祉法人の職員の“根っこ”を、 ぼくは見抜いてしまった気がする。
「自分さえ良ければいい。他人がどうなっても関係ない」 ――ただ、それだけ。
でも、本来“人を助ける”という使命を持つ組織の根っこは、 「自分はどうなってもいい。他人が助かれば」 という覚悟に支えられているべきじゃないか。
公的な予算を扱う中で、 時に「使い切ること」が目的になってしまう場面がある。
形式的な手続き、実態の見えにくい支出。 それらが“慣例”として繰り返されていることに、 ぼくは強い違和感を覚えた。
もちろん、制度には制度の事情がある。 すべてを否定したいわけじゃない。
でも、現場で働く一人として、 「このままでいいのか」と自問する日々がある。
ぼくは、国民の大切なお金に触れている。 だからこそ、その使い道には、誠実でありたい。
「誰かの生活が少しでも良くなる」 そんな実感のある支援を、心から望んでいる。
本当に「死ね」とは誰も言わない。 だけど、天皇陛下の執刀を担った天野医師のように、 自らの役割に誇りと責任を持ち、業務に忠実であってほしい。
派遣社員として働くぼくは、 その理想と現実のギャップに、 無力さを感じて、泣いたこともある。
この投稿は、誰かを責めるためのものではない。
ただ、同じような違和感を抱えている誰かに届けばいい。 そして、少しでも 「本当に必要な支援とは何か」を 一緒に考えるきっかけになれば、それだけでうれしい。
ぼくは、まだあきらめていない。
小さな声でも、 やさしさのしずくとして、 世界に流していきたい。
