「世界はおかしい。それでも、思いやりを信じたい」


ロシアとウクライナ。 ガザとイスラエル。 子どもが爆撃でバラバラになる。 その映像を、スマホ越しに見て、 「かわいそうだね」と言って、 次の動画に指を滑らせる。

でも、もしそれが、 自分の家族だったら?

一人ひとりが「自分のこと」として感じること。 そこからしか、世界平和は始まらない。

けれど現実はどうだろう。 日本では、防衛費が増やされようとしている。 高市早苗氏はそれを当然のように語る。 でも、彼女は聞いたのだろうか? B29に爆撃された人々に。 原爆の被害を受けた人たちに、面と向かって。

「あなたの痛みを、もう一度繰り返してもいいですか?」と。

上に立つ人間は、 鏡でなければならない。 国民の姿を映し、導く存在でなければならない。 けれど、今の現実はどうだろう。

派遣社員は今日も暇を持て余し、 社員は週休4日、15時半に帰る。 「うまく何とかしてください」と社労士に頼む声。 国民の税金が、本当に困っている人に使われるならいい。 でも、目の前にあるのは、 ただの“不正”だ。

ぼくは福祉の現場の真ん中で、 この矛盾を見てきた。 そして、気づいてしまった。

苦しみを知る人間には、二つの道がある。

ひとつは、 「自分のような思いを、もう誰にもさせたくない」と願う人。 もうひとつは、 「自分が苦労したんだから、お前も苦労しろ」と その痛みを“マウント”に変える人。

前者は人間。 後者は野獣。 なぜなら、後者は「自分さえよければいい」と思っている。 それは、悲しみを知らない者の考え方だ。

悲しみを感じること=思いやり。 悲しみを感じないこと=残酷さ。

だから、ぼくたちは悲しみを感じなければならない。 自分の家族が、ある日突然奪われないように。

ウクライナ。ロシア。 ガザ。イスラエル。 その巨大な力の流れを、 殺し合いから“仲直りの力”へと変えてほしい。

平和とは、 一方的な人が、理不尽な人が、 自ら折れることから始まる。

小さな者も、大きな者も、 「自分の家族だったら」と想像すること。

それができないなら、 それを感じないなら、 それはもう、人ではない。

ぼくは、世界の矛盾を広げたい。 その先に、矛盾のない“幸せ”があると信じているから。 そして、君と一緒に、 世界中に幸せが広がるように願いたい。