「敬語は“支配”じゃない。“信頼”でつながる社会をつくるために」 または「敬語というやさしさで、パワハラのない世界をつくる」


※この文章は、特定の個人を攻撃するものではありません。 しかし、現実に起きている“静かな暴力”に光を当て、 誰かの命を守るために、言葉の力を信じて綴ったものです。

敬語は、支配の道具じゃない。

信頼と尊重のしるし。

年齢や肩書きで人の価値を測る時代は、もう終わりにしよう。 本当に大切なのは、“何歳か”じゃなくて、“どんな人か”。

ぼくは、あえて敬語を使う。 それは、上に立つためじゃない。横に立つために。 相手と対等でいたいからこそ、丁寧に言葉を選ぶ。 それが、ぼくの選んだ生き方だ。

敬語を使える人って、どんな人?

  • 上下関係を気にしない人  年齢や肩書きではなく、中身で人を見られる人。
  • 本当に礼儀を知っている人  年上だけでなく、年下にも、子どもにも、店員さんにも、  誰に対しても一人の人間として接する人。
  • 余裕がある人  自信がない人ほど、上下をはっきりさせたがる。  でも本当に自信がある人は、威張らない。  敬語は、弱さじゃない。余裕のしるし。
  • 相手の力を認められる人  年下でも、自分より詳しいことはある。  それを素直に「すごい」と言える人は、自然と敬語になる。
  • プライドが高くない人  虚勢を張らず、誰にでも同じ姿勢で接することができる人。
  • 大切にされてきた人  若いころにやさしくされた記憶がある人は、  そのやさしさを、次の世代に返す。  敬語は、やさしさの連鎖。
  • トラブルを避けたい人  ため口は距離を縮めるけど、境界を壊すこともある。  敬語は、支配ではなく信頼を選ぶ人の言葉。

でも、現実はどうだろう?

ぼくは52歳。 上司は39歳の主任。 でも、彼は命令口調でぼくに接してくる。 「年上だから」「役職が上だから」 そんな理由で、ぼくを“下”に置こうとする。

ぼくは、そんな人間をたくさん見てきた。 スキルや資格を持っているのに、それを伝えようとしない。 むしろ、自分の立場を守るために、後輩を潰す。 それで優越感を得ている。

でも、それって本当に“強さ”なのかな? 本当の強さって、誰かを守れることじゃないの? 知識や経験を、次の世代に渡していくことじゃないの?

アドラー心理学が教えてくれたこと

アドラーは言った。 「人は、上下ではなく、横の関係でつながるべきだ」と。 世界中の人が、平らな道を歩けたら、 きっと争いは減っていく。 戦争も、いじめも、パワハラも、 “上下”という幻想から生まれている。

ぼくが守れなかった、ふたりの命

ぼくには、守れなかった先輩と後輩がいる。 彼らは、「今の上司」のような人間に心を壊されて、命を絶った。 ニュースにはならなかった。 でも、確かにそこに生きていた、大切な命だった。

ぼくは、しぶとい。強い。 でも、誰もがそうじゃない。 だからこそ、ぼくは書く。 言葉で、誰かを守るために。 敬語というやさしさで、世界を変えるために。

言葉の重みを、忘れないで

政治家の失言が、どれだけ人を傷つけてきたか。 「女性は産む機械」「ナチスに学べ」「LGBTは生産性がない」 そんな言葉が、どれだけ多くの人の心を傷つけ、 命の尊厳を踏みにじってきたか。

言葉には、力がある。 だからこそ、ぼくたちはその力を、 誰かを守るために使わなきゃいけない。

最後に

敬語は、支配の道具じゃない。 信頼と尊重のしるし。 誰かを見下すためじゃなく、 誰かと“横に並ぶ”ための言葉。

少しだけ丁寧にしてみる。 それだけで、世界の見え方が変わることがある。 そして、やさしさの連鎖は、きっと誰かの心に届く。