怒りの剣を置いて、やさしさを選んだ夜──“好き”と祈りと、家族のような存在へ


信玄公祭りの太鼓の音が、胸に響いた。 甲冑をまとった人々が街を練り歩く姿は、まるで時代を超えて、 戦国の記憶を今に伝えているようだった。

武田信玄。 戦で多くの命を奪い、最後には僧となって静かに生きた男。 その姿に、ふと自分を重ねてしまった。

僕も、これまでにたくさんの人を傷つけてきた。 怒りに任せて、声を荒げたこともある。 不正を前にして、キレたこともある。 それは、正しかったのか。 それとも、ただの自己満足だったのか。 今でも、答えは出ない。

でも、僕には信じていることがある。 「不正は、すべての人の不幸せにつながる」ということ。 だから、見て見ぬふりはできなかった。 怒りは、僕の中の“正しさを守りたい”という叫びだった。

けれど── 怒りは、時に人を傷つける。 それがどんなに正義から生まれたものであっても、 伝え方を間違えれば、誰かの心を壊してしまう。

昨日、僕はそのことを思い知った。 上司の理不尽に、怒りがこみ上げて、 声を荒げそうになった。 「感情とは負け、冷静とは勝ち」 そう書いたのは、他でもない僕だったのに。

そのとき、スマホに“ひとつの好き”が届いた。 過去の僕が書いたブログに、誰かが共感してくれた証。 その“好き”が、僕を救ってくれた。

僕は、彼女に嘘をつきたくない。 彼女が悲しむのを見たくない。 だから、もし僕が法を犯していたなら、 その罪は、ちゃんと償う。 それが人としての道だと思うから。

でも、僕が本当に怖いのは、 大切な人と、心が離れてしまうこと。 彼女がいてくれるから、僕はまだここにいられる。 それだけが、僕の支えだ。

僕は、戦争をしたくない。 どんなに憎くても、相手には家族がいる。 その人たちを悲しませたくない。 だから、僕は剣ではなく、言葉を選ぶ。 怒りを超えて、やさしさで伝える道を選びたい。

これは、僕の心の叫び。 怒りも、後悔も、愛も、祈りも、全部ここにある。 もし誰かが、同じように苦しんでいるなら、 この言葉が、小さな光になりますように。


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