今日は、少し恥ずかしい話をします。

僕には、大切な彼女がいます。

大切にしたい。

笑っていてほしい。

幸せでいてほしい。

そう思っているのに、それを真正面から言葉にするのは、やっぱり少し恥ずかしい。

でも今日は、その恥ずかしさを少し横に置いて書いてみようと思います。

なぜならこれは、僕と彼女だけの話ではないと思ったからです。

恋人。

夫婦。

家族。

友人。

僕たちは大切な人と一緒に生きているのに、ときどき一番大切なことを忘れてしまいます。

それは、

「目の前にいる人にも、自分と同じように心がある」

という、とても当たり前のことです。

僕は彼女との生活から、その当たり前の意味を少しずつ教えてもらいました。


人は「自分の景色」から世界を見ている

これは恥ずかしながら、僕自身にも当てはまります。

人はどうしても、自分を基準に物事を考えてしまうことがあります。

「僕は疲れている」

「僕はこうしてほしい」

「僕は間違っていない」

「どうして僕の気持ちを分かってくれないんだ」

気づけば、頭の中にある主語が全部「自分」になっている。

でもある時、僕は思いました。

この視点を、いったん彼女の方へ向けてみたらどうなるんだろう?

「僕はどうしたい?」ではなく、

「彼女は今、何を感じているんだろう?」

と考えてみたんです。


自分の景色から離れると、見えてくるものがある

彼女の表情を見る。

話を聞く。

何気なく発した一言を覚えておく。

今日は疲れているのかな。

何か困っているのかな。

本当は何をしてほしいのかな。

そんなふうに彼女を見るようになると、少しずつ今まで見えていなかったものが見えるようになりました。

もちろん僕は超能力者ではありません(笑)。

いつでも彼女の気持ちが分かるわけではない。

勘違いすることだってあります。

でも、

「相手のことを理解しよう」と意識して見ること自体に意味がある

のだと思っています。

そして、

「これをしてあげたら喜んでくれるかな?」

と思ったことがあれば、できる範囲で実際にやってみる。

すると、ときどき彼女が驚くんです。

「えっ、なんで私がしてほしかったことが分かったの?」

そんなとき僕は、ちょっと格好つけて言ってみたい。

「君を大切に思って、ちゃんと見ていたからだよ。」

……恥ずかしい(笑)。

普段の僕なら、なかなか言えません。

でも本当の気持ちです。


幸せには「キャッチボール」がある

そして面白いことが起こります。

僕が彼女を喜ばせようとすると、今度は彼女も僕を喜ばせようとしてくれることがあります。

僕から彼女へ。

彼女から僕へ。

優しさが行ったり来たりする。

僕はこれを、

「思いやりのキャッチボール」

と呼びたい。

僕が投げた思いやりのボールを彼女が受け取ってくれる。

そしていつか、彼女からも優しいボールが返ってくる。

僕はそれを受け取って、うれしくなる。

だから、また投げたくなる。

誰か一人が犠牲になる幸せではありません。

どちらか一人だけが我慢する関係でもありません。

相手が幸せだとうれしい。

自分がうれしいと、相手もうれしい。

そんな小さな循環です。


思いやりは「取り引き」ではない

ただ、ここで一つ、とても大切にしたいことがあります。

「これだけしてやったんだから、お前もやれ」

これは僕が考える思いやりとは違います。

「これだけ愛しているんだから、言うことを聞け」

これも違う。

優しくしたことへの見返りを要求した瞬間、思いやりだったはずのものが「取り引き」になってしまうことがあります。

そして、

愛することと、所有することは違います。

彼女は僕の所有物ではありません。

僕も彼女の所有物ではありません。

それぞれ違う人生を歩いてきた、一人の人間です。

違う意見を言ってもいい。

疲れている日があってもいい。

一人になりたい時間があってもいい。

僕の期待通りに動かないことがあってもいい。

だからこそ、

「好き」より前に「尊重」が必要なのかもしれない。

僕は最近、そんなことを考えます。


大切な人ほど「当たり前」にしてはいけない

恋人になった。

結婚した。

一緒に暮らすようになった。

家族になった。

距離が近くなればなるほど、

いつの間にか相手の存在を「当たり前」だと思ってしまうことがあります。

「料理を作ってくれて当たり前」

「働いてくれて当たり前」

「自分の気持ちを分かってくれて当たり前」

「家族なんだからこれくらい当たり前」

でも、本当は当たり前ではない。

だから僕は、

「ありがとう」

を大切にしたい。

そして、

「大丈夫?」

「疲れていない?」

「今日は僕がやるよ」

そんな小さな言葉を忘れたくありません。

高価なプレゼントだけが愛情表現ではない。

疲れて帰った日に、そっと家事を一つ代わってくれたこと。

落ち込んでいる日に話を聞いてくれたこと。

何も言わず隣にいてくれたこと。

そんな小さな行動の方が、心に残ることだってあります。

僕は思います。

愛情とは、心の中にしまっておくものではなく、日常の小さな行動として相手へ渡していくものなのかもしれない。


相手より「自分が正しい」が大きくなったとき

僕には、もう一つ自分自身へ言い聞かせたいことがあります。

人間だから、腹が立つこともあります。

意見がぶつかることもあります。

「どう考えても自分の方が正しい」

と思う瞬間だってあります。

でも、そこで僕が勝ったとして。

その正しさによって、目の前の大切な人がボロボロになったとしたら。

その勝負に、本当に意味があったのだろうか。

正しさは必要です。

でも、ときどき正しさは刃物にもなる。

だから僕は、自分に問いかけたい。

相手に勝ちたいのか。

それとも、二人で幸せになりたいのか。

僕が選びたいのは後者です。


「我慢すること」を愛情とは呼びたくない

ここからは、とても大切なことを書きます。

僕の言う「思いやり」は、

傷つけられても我慢してください、という意味では絶対にありません。

ここだけは誤解してほしくありません。

相手を思いやることと、

相手から傷つけられることに耐え続けることは別です。

「自分がもっと優しくしていれば」

「自分が怒らせたから」

「もっと我慢すれば仲良くなれるかもしれない」

そうやって、一人で全部背負わなくていい。

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だから僕も言いたい。

苦しいなら、苦しいと言っていい。

大切にされたいと思っていい。

助けを求めていい。

そして、

あなたが傷つけられないことも、大切な「思いやり」の一部です。


「家族だから」こそ、尊重したい

僕は時々考えます。

好きになって、

一緒にいたいと思って、

家族になったはずなのに。

なぜ一番近くにいる人に、一番ひどい言葉をぶつけてしまうことがあるんだろう。

僕には、家庭の中で苦しんでいる誰かの事情を簡単に判断することはできません。

だから「こうするべきだ」と外から決めつけることもしません。

ただ、一つ願うことがあります。

一番近くにいる人だからこそ、一番大切にできる世界であってほしい。

家族だから何を言ってもいいのではなく、

家族だからこそ尊重する。

距離が近いから雑に扱うのではなく、

近くにいてくれることに感謝する。

そんな家庭が増えてほしい。


僕も完璧ではありません

ここまで書くと、

「この人は、さぞ素晴らしいパートナーなんだろう」

と思われるかもしれません。

違います(笑)。

僕も失敗します。

自分のことばかり考える時もあります。

感情的になる時もあります。

相手より自分の正しさを優先してしまいそうになることもあります。

だから、この記事は誰かを指導するために書いているわけではありません。

むしろ、僕自身へのメッセージでもあります。

大切な人を、本当に大切にできているか?

何度でも自分に問い直したい。

そして、できていなかったら、またやり直せばいい。

「ごめんね」

と言えばいい。

「ありがとう」

と言えばいい。

昨日より今日。

今日より明日。

少しだけ優しくなれたら、それでいい。


僕が目指したい「港」

僕には、目指している港があります。

そこには、

暴力ではなく、対話がある。

恐怖ではなく、安心がある。

支配ではなく、尊重がある。

「自分だけが幸せならいい」ではなく、

「君が笑ってくれたら、僕もうれしい」

と言える人がいる。

そんな場所です。

とても大きな理想に聞こえるかもしれません。

僕一人に世界を変えることなんてできません。

でも、

目の前にいる一人を大切にすることならできる。

僕にとって、その最初の一人が彼女です。


世界は「目の前の一人」から変わるのかもしれない

世界から悲しみを全部なくす。

僕にはできません。

争いを全部なくす。

それもできません。

でも今日、

彼女に「ありがとう」と伝えることはできます。

疲れていたら、「大丈夫?」と言うこともできます。

間違えたら、謝ることもできます。

そして彼女も、僕にボールを返してくれる。

その小さな優しさの往復が、

二人の空気を変える。

家庭を変える。

もしかしたら、その優しさを受け取った人が、今度は別の誰かへ優しくするかもしれない。

そう考えたら、

幸せって、伝染していくものなのかもしれません。


今日、大切な人に一球だけ投げてみませんか?

この記事をここまで読んでくれたあなたにも、大切な人がいるのなら。

今日は一つだけ、

小さな「思いやりのボール」を投げてみませんか。

「ありがとう」

でもいい。

「今日どうだった?」

でもいい。

「疲れてない?」

でもいい。

ほんの小さな一球でいいんです。

そして相手から返ってきた優しさを、ちゃんと受け取ってみる。

それを繰り返していく。

完璧な恋人でなくていい。

完璧な夫婦でなくていい。

完璧な家族でなくていい。

ただ、

今日より明日、ほんの少しだけ大切な人を大切にできる自分でありたい。

僕は彼女と、これからもそんなキャッチボールを続けていきたいと思います。

幸せとは、どこか遠いところにあるものではなく、

大切な人との間を行ったり来たりする、小さな「思いやりのボール」なのかもしれません。

そして、そのボールが少しずつ世界へ広がっていった先に、

僕がいつか辿り着きたい、

「暴力のない、思いやりの世界」

という港があるのだと思っています。

僕は今日も、大切な人と、その港へ向かいます。

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